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第4話:港区女子の誘惑と決意

Author: 月亭脱兎
last update publish date: 2026-09-03 15:34:52

 ——初めての「投資」を体験した翌朝。

 私は、いつものように駅前の売店で焼きそばパンとコーヒーを買い、出勤ラッシュの波に揉まれながら会社の自動ドアをくぐった。

 頭の中には、昨晩の九条の声がこだましていた。

 ——底辺には底辺の上がり方がある。

 言葉にすると短いのに、やけに刺さる。

 私のような“持たざる女”にとって、あれは脅しでも慰めでもなく、一つの「現実」だった。

 

 実家も地味な団地、両親も早くに離婚し、母は副業で夜の仕事しながら私を育てた。

 奨学金で大学に入り、仕送りのない学生時代もバイトで乗り切った。

 だから、就職先が「とりあえず潰れない中小企業」だっただけでも、私は運が良かったのかもしれない。

 ただ……九条に言われたように、“見た目”に恵まれているとは自分でも思う。

 でも、それに頼って生きる女にはなりたくなかった。

 そう思っていた。いや、そう「思おうとしていた」。

 それはきっと——母への反発だったのだろう。

 

 でも今はそんな私情よりも、週末のABCフーズの中間決算のほうが心配だ。

 昼休みに給湯室に入ると、コーヒーの香りが漂い、いつも通りの昼下がりの静けさがあった。

 ——カチッ。

 その音に顔を上げると、給湯機の前に派手な女性が立っていた。

「天道さん、ここにいたのね」

 声の主は、同僚の窪田カヲリ。

 インスタのフォロワーは5千超え。Diorの小さなハンドバッグをさりげなく机に置き、ネイルは今季の流行色で塗り上げられている。

 そして手首にはさりげなくシャネルの時計、ヒールの裏からのぞくルブタンの濃い赤色が「私は持ってる女」を醸し出している。

 その指先で何度も小物をいじって、それをアピールしているようだった。

 正直、こういう“承認欲求を全身で着てる女”は苦手だ。

「ねえ、天道さんて……もっと稼ぎたいと思わないの?」

 その唐突な問いに、私は思わずお茶を噴きそうになった。

「え?どういう意味( まさかマルチの勧誘じゃないよね?!)」

 内心構えた瞬間、彼女は小首をかしげた。

「六本木のLUXって知ってる?」

「知らない……けど、なんか夜っぽい?」

「そう、いわゆるラウンジ系でさ。客として座るだけで、時給数万円。容姿と愛想があればOLでも、夜だけで結構な稼ぎになるよ」

「それって……キャバみたいに接客しなくて良いってこと?」

「そう。まあ容姿の面接はあるけど。週2くらいからでOKだし。会員制で、経営者とか一流企業の人たちがお客さんだから、見たことない“ビジネスの世界”にも浸れるのよ……」

「まさか……最近よく聞く“港区女子”ってやつ……?」

「まあそんな感じかな。上客に気に入られたらプラスアルファでもっと稼げるよ。自由恋愛ってことで、法律的にもセーフみたい――」

(だから、そんなに良いモノ買えるんだね……(結局はパパ活……売でしょ)」

「あなたって、|男性社員《おとこたち》に人気らしいよ。せっかく顔がいいんだから“普通にOL”だけやるの勿体無いと思うよ。もうアラサーでしょ?今しか出来ないと思わない?」

 私は黙り込んだ。

 給湯室の蛍光灯が、そこだけ眩しく感じられた。

 女の売り時って……そんなんだから“変わらないん”だよ。

「ねえ、 どうなの?天道さん。とりあえず体験てことで店に来てみてよ、もちろんその日もギャラは出るからさ」

「……私、お付き合いしてない人と、そういうのしない主義なんで」

 つい小さく言い切ってしまった。嘘ではなかったし、本音だった。

 カヲリは表情を変えずに、軽く笑った。

「へえ、案外古風なんだ。せっかくお金持ちとネットワークが広がるチャンスなのに」

 その言葉には、軽い侮蔑と含みが混じっていた。

「言っとくけどさ、こんな会社にいても、ハイスペックな男になんて一生出会えないわよ」

 「まあ、そうでしょうね……」

 その時なぜか一瞬、三條圭の顔が浮かんだ。

 彼以上のハイスペックに出会えると思えないけど——

 いやいや、あれは出会いというより……

 ただの暇つぶしの相手にされただけ。

 ——勘違いするな、私。

 

 私は何度かうなずきながら、冷蔵庫のドアを閉め、そこから離れるように席に戻った。

 ただ席に戻った後も、胸のあたりが重かった。

 ——私は母を見て育った。

 若い頃の母は綺麗だった。銀座のクラブでNo.2だったとか、月に100万稼いだとか。

 けど30を超えた頃から生活は荒れ、家に男が出入りし、そいつのせいで借金を背負う羽目になった。

 だから私は、何があっても“自分の稼ぎ”で生きようと決めた。

 ——だけど。

 その“理想”の代償に、私は何を手に入れた?

 

 多額の奨学金の残債、ブラックなバイト、過労、ギリギリの生活費。そして、親の借金の名義保証人になって、詐欺にまで遭って——

 「……私にだって、意地があるんだよ」

 帰りの電車の中で、小さく呟いた。

 夜の窓に映る自分の顔が、少しだけ大人びて見えた。

 母を越えたくて、母を否定して、でも結局、母と同じように「金」で追い詰められている。

 それでも私の“意地”は、まだ消えてない。

 誰にも頼らず、自分の頭で考えて、自分の手で掴む——それが、私の選んだ生き方だ。

 今なら“女”で稼ぐ方が簡単かもしれない。

 でも、私はそれとは別の道を歩きたい。

 私はまだ、勝負の入り口に立ったばかりだ。

 たとえ遠回りでも、たとえ不器用でも。

 その先に、私だけの景色があると信じているから——。

 ブ・ブ・ブ……

 その時、私のスマホにメッセージが届いた。

【今週土曜日、三條グループ主催の財界パーティに同伴するように。六本木レジェンド倶楽部19:00 ドレスコードはカクテル以上/三條圭』

「え?!三條さんに同伴?私が?」

 電車内で思わず声が出てしまう。

 どうしよう!六本木レジェンド倶楽部と言えば財界人しか入れない超高級会員制クラブ。

 しかも私、カクテルドレスなんて持ってない。

 【お誘い頂いて恐縮ですが、ドレスを持っていません/天道美咲】

 震える指で慌てて返信する私。

 なんて情けない陳情。さすがに正直過ぎただろうか。

 すると間をおいて再びメッセージが届く。

 【では17:00に欅坂にあるメゾンルミナスに寄ってくれ。話は通しておく以上/三條圭】

 相変わらず最小限の会話しかしない人だ。

 でも、これが私にとって、初めての社交界デビューになる。

 心音が高まり、胸がしめつけられるようなこの感じ……

 社交界が楽しみだからか?それともまさか三條圭にまた会えるから?

 その理由を、この時はまだ理解できなかった。

 

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